控え室へ



 的当て五郎が控え室に入ってしまった後では、ボクは単なるカカシに過ぎないのかもしれな
い。天井を見るともなしに眺めながらそう思っていた。
 控え室からはドライヤーの音が聞こえる。誰か髪の毛をスタイリングしているのかもしれな
い。孔雀ヘアに、あるいはアルマジロヘアに。
 ボクはそのような事を考えながら、ただ一点をずっと眺めながら壁に寄り掛かっていた。な
んだかとても煙草が吸いたかった。
 そう思っていた所に偶然人が通りかかった。煙草を持っていたら一本貰いたい。
「スズキAD!?おいスズキAD!!」
 でも彼はボクを無視してそう言いながらその名前の人を探していた。スズキADはここには
居ないようだった。彼が通り過ぎてしまったらまた辺りが静かになった。天井の白熱灯がとて
もまぶしい。
 控え室のドアはとても頑丈そうに見えた。的当て五郎は今何をしているのだろうか。そう思
っていたら彼がすぐに控え室から出てきた。
 普段は何処にでも居るような中年のおじさんと言う雰囲気が、メイクで幕末のサムライの威
厳ある顔へ変わっていた。ステテコに腹巻だった人がこうやってきちんとした着物になり、刀
なんか腰に付けちゃったりなんかしたら、世の中それだけでちょっと信じられなくなりそうだ。
彼がメイクをする前とした後では、全くの別人になってしまって居るからだ。
「さて、それじゃあ行くか。」と五郎は言う。
「今日もいつもの調子でお願いします。」マネージャーらしき人が言う。
 五郎は足早に第一スタジオへ歩いて行った。廊下のつきあたりで彼が見えなくなってしまう
までその足音を聞く。その音が聞こえなくなるまで聞いていると、反対側から足早に誰かがや
ってきた。
「ふぅ、まだ誰もきてねえな。よしよし間に合った。」
 もう五郎もスタッフも皆来ていると言うのに彼だけそれを知らないで、間に合ったといって
いる。こういう人の人生はきっと楽しいだろうと思う。
「おいスズキAD!!早くそれ運んでけよ!いつまで待たしてんだよ!」
 控え室から勢いよく出てきた髭もじゃの筋肉男がスズキADに怒鳴った。
「あ、す、すいません!!今持っていきます!!」
 スズキADはボクを担いで、スタジオに急いで走って行った。
「ちぇ、やっぱ遅刻だったか・・・くそ」とスズキADは言った。
・・・そういえば、ボクは初めからカカシだったのだ。